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とも’s Story[3つのはまり期 その2]~ ぬいぐるみ期

更新日:

2つめのはまり期は、[ぬいぐるみ期]です。これは1996年から2002年くらいでしょうか。このときの経験はいろんな意味で今の私にとって大きなものになってると思います。…といっても、単なる20代の無鉄砲経験ですけどねー^^;;。

 

えー!ぬいぐるみで海外?!と思われたアナタ!
そうなんですよ、そういう時代があったのです。お高いシュタイフ社などから出ているテディベアとかじゃないですよ。1つ680〜1000円程度のぬいぐるみがブームになったことがあるんです。

 

 

阪神大震災の被災経験から行動が変わった

さて、本題の前に少しだけ…。

 

大学卒業後、一度はきちんと就職をしましたが、続いていく残業に流されていくうちに、このままでいいのか?という想いが日に日に強くなるようになりある日爆発(笑)。こらえ性のなかった私は突如やめることを決意。すっごい突然決めたので、会社や親には非常に迷惑をかけるカタチになってしまいましたが(今となっては反省)、次の仕事を探すことにしました。

 

その後、半年後の94年11月、神戸に出て働きはじめました。しかし95年1月17日に阪神大震災が神戸を襲います。私は結構被害が大きな兵庫区に住んでいたので、当時住んでいたマンションが半壊。電気は数日でつきましたが、水は一ヶ月断水状態でした。

 

そして勤めていたホテルも、震災後1ヶ月で経営再開を断念。経理を残して全員解雇という状態に。

 

えーー!!この先どうするよー!!!途方に暮れる状況。私自身、神戸に縁もゆかりもなく、当時実家は岡山でしたので、戻ってくるよう再々言われてましたが、このとき神戸を離れるという想いはまったくありませんでした。関西人のパワフルさが、私はたまらなく好きだったのです。当時、この状況から自分たちでなんとか立ち上がろうと、本当にみんな必死だったと思います。みんなで支え合って、笑顔になれることを見つけていた。私に何ができるかなんて当時わかりませんでした。でも、もしなにかあるなら、みんなとやりたい。ただそれだけの理由で残ることにしました。

 

でも、この阪神大震災での経験が、

とも
「人間いつどうなるかわからない。悔いなく生きたい」

 

という私の思いを一層強くしていった気がしています。

だからこそ、行きたかった旅に出よう!とそれを全うするために再就職はせず、フリーターとして過ごす日々を選びました。お金を貯めては出かける日々。まさに風来坊…( ̄▽ ̄)。でも、この状況があったからこそこの後に書く、はまり期に続いたといってもいいと思います。

 

ぬいぐるみたちとの出会いは空港で

では、本題へ。

96年11月、いつものごとく旅に出ていました。このとき最後に立ち寄ったシカゴの空港で
まさに運命の出会いがあったのです。

 

Ty Beanie Babies(ビーニーベィビーズ)

 

ペレットと呼ばれるプラスチックの小さな玉が身体に入ってて、くたくたっとしたぬいぐるみです。通称ビーン。

 

当時の空港には、子どもたち向けにこうしたぬいぐるみが置かれていました。その中に、NBAシカゴブルズのチームキャラ「ベニー・ザ・ブル」に似たTabascoというぬいぐるみがあって私はそれに一目惚れ♡。

Beanie Babies Tabasco

Beanie Babies Tabasco

 

この子を思わず購入したのがビーンとの最初の出会いでした。

 

その後、再び渡米したとき、ディズニーも同じようにビーンを出してることがわか、フロリダ オーランドのディズニーワールドで、気に入ったモノをいくつかゲット。いろんなスタイルのキャラがあって、かわいくって思わず散財しちゃいました(笑)。ただ、まだこの頃は、フツーにちまちまとお気に入りを見つけては自分が買って楽しむだけでした。

 

ここから転機が訪れます。

 

トレード&発信で海外トレーダーとつながる

98年7月、日本のディズニーストアでクラシックミッキー&ミニーが発売になりました。いつものごとく、ふと立ち寄ったディズニーストアでただかわいいなーと思って購入。

 

その頃、私は、アメリカのコレクターたちが立ち上げている、サイトをチェックするのがお気に入りでした。

 

ところが、待てど暮らせど、このクラシックミッキーたちの話がアメリカのインフォに出て来ない。あれ?かわいいのにー。アメリカでは人気ないのかなー。で、話をしてみたら、「ナニソレ知らない!!!」という反応が。そこで初めて、どうもこれらは日本限定らしいということがわかったのです。

 

とも
へーーーーー!!! 日本限定とかってあるんだー。 おもしろいなー。

 

この話が、アメリカですでに火がついていたビーンコレクターたちに徐々に浸透していき、彼らはこぞって日本限定のミッキー&ミニーを欲しがるようになりました。

 

そして、ある日のこと。交流していた人から、日本限定ものとのトレードの話が持ちかけられたのです。もちろん、おもしろそう〜と即OK(笑)。

 

そこから、主にメールで情報交換し、お互いに国際郵便で送り合うトレード交換にあけくれる日々がスタートしました。これを皮切りに、日本限定が出るたびにしばらくトレードが続きました。

 

そうして、楽しんでいるうちに、アメリカでは日本のものについてちゃんとした情報が流れてないということがだんだんとわかってきました。意外とめちゃくちゃな情報が流れてたりしてびっくりすることもあった。こうした状況に、最初はコレクター仲間一人一人に訂正をして本当のことを伝えていたのですが、そのうち、めんどくさくなってきたのと、知り合いじゃない人には誤解されたままなんだろうなー…なんて思うとなんだかもどかしい思いもあり、何らかで正しいインフォを発信出来ないかと強く思うようになりました。

 

そこで、当時一番仲の良かったコレクター仲間が開設しているホームページに、日本のニュースを送って載せて貰うようになりました。思えば、これが私のはじめての発信でした。自分のルーツなのかもしれません。

 

アメリカのビーンショウに行ってみる!

さらに、私の中でのビーン熱はどんどんと高まっていき、今度は本場アメリカの「ビーンショウ」に行ってみることにしました。

 

 

さまざまな種類のビーンがあるし、それこそ日本円で50万円を超えるようなレアアイテムも見れたりして大コーフン(σ≧▽≦)σ。(当時はブームもあってそういうモノもあったんですよー)

ちなみに、こういったビーンショウはアメリカで発売されていた雑誌にスケジュール掲載されていたので、事前にチェックできたため計画も立てやすかったんです。結構あちこちに足を運ぶようになりました。

 

大好きな雑誌「Beanie Mania」で記事を書くことに!

98年11月に次なる転機が訪れます。

自分が渡米する時期と同じくして、大好きな雑誌「Beanie Mania」がフロリダ オーランドでビーンショウを開催するというニュースを発見。しかも雑誌の責任者のBecky & Beckyまでやってくるという超目玉な内容にはっとしました。

とも
こりゃ、いくっきゃないでしょーーーーー!!!!

 

もう、テンションアゲアゲだったこと今も覚えています。もちろん、ただ、会えたらいいなー♡的なミーハー感覚だけでした。

 

ただ、せっかくだから目立ってナンボ!!覚えてはもらいたい。そう思って、ビーンではないけど、東京ディズニーランドの日本限定着物ミッキーとミニーのぬいぐるみバッジを身につけて出かけることにしました。これで日本から来たアピールが出来る!と。実際、この作戦は見事成功!すぐに二人の目にとまり話しかけられました。「ワオ!!日本から来たの?」

 

とも
日本から来ました。ビーンが大好きです。

 

コレを見たときテンションあがりまくり!

コレを見たときテンションあがりまくり!

Beanie Mania代表のBecky & Becky ふたりとも主婦からの起業でした。

Beanie Mania代表のBecky & Becky。ふたりとも主婦からの起業でした。

スタッフTシャツまでくださり一緒に記念撮影

スタッフTシャツまでくださり一緒に記念撮影

 

興味を持って下さったお2人はいろいろな話をしてくださり、私が特にディズニービーンに
興味があると知ると、ディズニーコーナーの担当者を紹介してくださいました。担当者のPaulineは、日本限定ものにめっちゃ興味を持っていたので、私に質問攻め。もちろん私も大好きなことなので盛りあがりまくりました。

するといきなり…

 

あなた、ちょっと記事書いてみない?とりあえずここに書いて送ってみて。

 

と、メールアドレスを渡されぽかーん。

1ページ程度になればいいからと付け加えられたものの、書くって一体全体何を書けば良いんだーーー??と訳の分からない状態(笑)。

 

ちょうど日本の干支にまつわるうさぎをかぶったプーさんが発売になることもあり、干支のしくみを書いた記事を作成し、聞いていたメールアドレスにとりあえず記事を送ってみました。それに対してありがとう!という返事はもらったのですが、具体的に触れられることがなかったので、特に何かになるとも思わず、自分の中では良い経験ができたなと終わったモノとなってました。

 

えっ!本当に記事になった!

そうして、忘れかけていたころ、ある日突然冊子とともに小切手がポンっと送られて来ました。しかもディスニー責任者Paulineからのメッセージ付きで。

 

To Tomo -Welcome aboard as a Beanie Mania Writer

 

本当にライターとして認めて下さってることに感激!!!っていうか、ちゃんと記事載ってるし!!びっくり。

 

どどんと2ページものでした。

どどんと2ページものでした。

 

こうして、私はなんのこっちゃわからないまま、アメリカでのライターデビューしたのです。

いやはやアメリカすごい。私なんてドコの馬の骨かまーったく解らないのに、あのイベントのやりとりだけで信頼してくれたことにただびっくりでした。こういうことが、アメリカンドリームに繋がって行くんだろうなーと、そんなことを肌で感じました。いやーーーーー、ゾクゾクです!

 

こちらのBeanie Maniaは2ヶ月に一度の発刊でした。その後も、日本からの情報発信をさせて頂き、99年3月号〜11月号まで担当させて頂きました。

 

雑誌とクルーズのテキスト

雑誌とクルーズのテキスト

 

99年11月には、Bieanie Mania主催のビーンクルーズも行われ日本のビーンについての
講師として招いて頂きました。カリブ海クルーズを楽しみながらビーンの講義をするというゼータクな時間でした。

 

11月号にはBeanie Maniaスタッフの紹介をしてくださってたのですが

11月号にはBeanie Maniaスタッフの紹介をしてくださってたのですが

 

私も入ってた!感激!!日本人こういう風に見えるのね^^。

私も入ってた!感激!!日本人こういう風に見えるのね^^。

 

しかし、その後、ビーンのコレクター熱が落ち着いてきたことにより、2000年1月に雑誌の方が休刊になり、私のライター生活はそこで終了しました。とはいえ…単なる趣味があれよあれよでこの状態まで来てびっくり。本当に良い経験をさせて貰ったと思ってます。

 

発信好きから、アピールしてチャンス掴んでナンボ!ってことは、この時期に学んでいたんだなぁと改めて。まずは、足を運んでみよう、そして、やってみよう!ってホント大事なことだと思いますね。当時よりももっともっとボーダレスに活躍出来る時代…。また自分が楽しいコトを発信し続けたいと改めて思うこのごろです。

 

日本でのコミュニティを立ち上げたい

海外でのやりとりも楽しかったのですが、雑誌デビュー後に、実はすぐに私はあることに着手することにしました。

 

それは自分のホームページの作成です。具体的には日本でビーンのコミュニティを作りたかったのです。

 

これまでコレクターさんとのトレードや情報発信、
そして雑誌でのライター活動をしてきましたが…

これ、すべて海外でのコトなんですよねー。

 

とも
楽しいけど、やっぱり日本人の友達がほしい!日本のコミュニティがあったらいいのに!その方が絶対楽しいはず。

 

日本にもコレクター仲間は絶対いる!という確信もありました。海外とのトレードは、よく掲示板のようなものを使って相手を探すのですが、ここで日本人と思わしき名前も見ていましたし、ホームページにコレクションをちょこっと載せたりしている人も見たことがありましたから。もちろん、そういうファンに、個別でアプローチしてお友達になってもいい。だけど、日本人同士で活発に情報交換出来る場所があったらいいのになぁという思いもあったんです。

 

でも、そういう場はない。うーん、ないなら作ってみるか!!というわけで、自分でやってみることにしました。ぶっちゃけ出来るかどうかなんて、全く考えてなかったです^^;;。

 

とりあえず、ページについては、今までのトレードで得た知識やアメリカで見てきたことなどを中心に構成していき、そして日本語で世界のニュースをまとめ読み出来るカタチが作れたら、魅力的になるんじゃないかと考えました。

 

そこで、アメリカの大きな情報サイトのいくつかで、すでに情報提供してきていたことを活かして、今度は逆に協力してほしいと管理人さんたちに一斉にメール。自分が日本のサイトを立ち上げるので、オフィシャルに協力をしてほしいとお願いしました。先に協力をしてきたこともあって、快諾してもらい、ありがたくスタート。

 

そうして私のサイト、Bean & Plush Hunting[ビーン アンド プラッシュ ハンティング]がスタートしたのは1999年4月10日のことです。雑誌発売から3ヶ月後でした(3月号は1月発売だった)。

 

残念ながら、当時のサイトはもう残ってません。サイトデータも今は懐かしすぎるMOやZIPという記憶媒体に入れていたので、見る術もなくなりそのまま処分してしまいました…( ̄▽ ̄)。ただ、全部消えてしまう前に印刷しておいたので、載せておきます(笑)。こういうものもとっておくものですね。

 

 

このサイト、もちろん認知度があるわけもなく、出来た当初は当然、アクションを起こしてくる人はだれも居ませんでした。立ち上げていた掲示板に一人でビーンを絡めた日記のようなものを、書き込む日々(笑)。

……
……
……

どれくらい経ったでしょうか。1-2ヶ月は一人だった気がします。当初、まだ一家に一台
パソコンがある時代じゃなかったですしね。誰もこなくてもニュースは黙々とアップしていく日々が続きました。日々書き込まれない掲示板を見ながら、コレクターいるはずなんだけどなぁ…と思いつつ、それでも諦めずに短い日記のようなものを掲示板にずっと書き続けていました。

 

そうしていくうちに、「はじめまして」と書き込んでくれる人が、一人二人…と増えていき…そこからは一気!!流れってすごいですね。それにしても、日本語で日本人の思いで、いろいろコレクター仲間と話が出来るってやっぱり楽しい!!

 

あんなにさみしかった掲示板も、毎日忙しく稼働するようになっていきました。日本国内のことも熱く情報交換されるようになり、海外のディズニーランドやディズニーワールドに行った人が、現地のインフォを流してくれるようになりました。

 

私が確かに骨子作成したサイトではありましたが、参加してくださるみなさんが、それぞれ盛りあがってくれる場となり、いわば、みんなでサイトを作ってる状態になりつつありました。まさに理想的!!です。

 

サイトを通じてできたこと

みんなでサイトを作っているという実感。
その集大成は、まさにFriendship Beanの発売のときだったと、私は思っています。

Friendship Beanとは、コレクター向けに作られたイベント的なビーンでした。プーさんの仲間たちが、ひとつにくっつけられたスタイルでした。

1999年のフレンドシップビーン

1999年のフレンドシップビーン

2000年のフレンドシップビーン

2000年のフレンドシップビーン

2001年のフレンドシップビーン

2001年のフレンドシップビーン

 

 

各地のディズニーストアで個数限定な上、しかも1日だけ発売するビーンでした!いわゆるレアものってやつです。個数も具体的な販売スタイル(整理券か否かなど)も店舗によってまちまちで、オフィシャルで情報も出ておらず、直接店舗で聞いてみるしか方法はありませんでした。

 

この情報も日本各地から寄せて下さり、サイトを通じてみんなで共有することが出来たのです。まさに、それぞれが発信者でした。

フレンドシップビーンの販売予定情報

フレンドシップビーンの販売予定情報

みんなが最寄りのディズニーストアで聞いてきてくださってそれを表にしていました。

みんなが最寄りのディズニーストアで聞いてきてくださってそれを表にしていました。

皆さん、改めてスペシャルサンクス!
これは、今でも一番の思い出になってます。いやー楽しかったなーー!!

 

ついでに、もうひとつレアビーンのおまけを載せておきますね。

スペシャルレアビーンの最たるものがこちらのシカゴブルースミッキー。

スペシャルレアビーンの最たるものがこちらのシカゴブルースミッキー。

 

こちらのシカゴブルースミッキーは、1日限定で世界中の中で、アメリカはシカゴのディズニーストアでのみの販売。もちろん個数限定。最高期はオークションやビーンショウなどで50万以上の値段にも(元は7ドル)なったことがあります。いや、すごかったですね^^;;。

 

あとサイトの話を少しすると、当時、人気のコーナーのひとつが、「ともとビーンの海外奮戦記」でした。

 

 

着物など日本オリジナルスタイルのビーンを、自分の海外旅行に連れて行き、そこで写真をとり、いかにも日本からビーンが旅をしているかのように、現地からアップしていくという企画。これもなかなか楽しんで貰っていたかなと思います。今、うなぎトラベルさんが、ビジネスでされていらっしゃることを単なる趣味でやってた感じですね^^;;。

 

ネットからリアルへ:オフ会&チャリティ

そうそう!
当時はサイトの仲間と、オフ会も開催したりもしました。これも楽しかったです。リアルに顔を見て話すと、一層繋がりを深められるし、ネットがリアルになるって、ホントにいいなぁと実感しました。

 

 

大阪や東京でオフ会も開催させて頂いていました。たくさんのご縁を頂き、ビーンを離れた今でも続いている繋がりもあり、感謝しています。

 

さらに、サイトを通じてチャリティも経験させて頂きました。

99年に阪神大震災の遺児のための施設「レインボーハウス」が神戸市に出来たのですが、(実に震災から4年近くたってから)そのとき、何か私達でも出来ないかと思って、思いついたのが、「Very Merry Bean Christmas!」というチャリティ。

トレードでだぶってしまったり、買ったけどしまったままのものなど、要は自宅で眠ったままになっている未使用の新品ビーンのぬいぐるみをプレゼントしようという企画です。…とはいえ、ぬいぐるみってかさばるものでもあるし、迷惑になってもいけないので、先方さんに企画をきちんとお話して、喜んでいただけると思ってからスタートしました。

 

いざ、初めて見ると、普段掲示板には登場していないような人からもたくさんのビーンが届いてビックリ!!まさに嬉しい悲鳴!!

 

温かい手紙とともにたくさんのビーンが届きました。感謝!

温かい手紙とともにたくさんのビーンが届きました。感謝!

 

クリスマスイブに、皆さんからのプレゼントを直接「レインボーハウス」に持参させて頂きました。職員さんがすぐにいろいろな部屋へ置いて下さったそうで、大変子どもたちも喜ばれたとお聞きしました。私としても自分も被災した阪神大震災だけに、何か出来ることが一つでもあったのはうれしかった。何より、協力して下さる仲間に恵まれていたこともありがたかったです。みんなで報告も分かち合いました。

 

その後…ビーンコレクションは、徐々にブームが下火になったこともあり、また私自身も仕事が忙しくなったこともあり、こちらのサイトは2002年にクローズしましたが、本当にサイト管理者として、至らないことはあったとは思いますが、みなさんのお陰ですばらしい体験をさせて頂きました。改めて感謝です。

 

行動し続けたからこそ届いたアメリカからのオファー

2001年には、思ってもないオファーが届きました。

当時ハードロックカフェで販売されていた、ベアのぬいぐるみを作っていらっしゃるアメリカのHerrinton社さんから「オリジナルロゴベアつくりませんか?」というお話をいただいたのです。たかだか個人でやってるサイトなのに、サンプルを送って下さってすごく感激でした。

 

 

結局この後、サイトをクローズする流れだったので、このお話は実現しませんでしたが、このサンプルベアは今でも私の宝物です。やり続けるって大切なことですね。

 

そして、コミュニティは、本当にひとりではできない。参加者さんたちのチカラがすっごく大切だと思います。そのことも、このサイトを運営しながら学ばせて貰いました。本当に周囲に恵まれていたからできたステキな体験だったと思っています。

 

ぬいぐるみ期に学んだこと

まとめてみるならば、このぬいぐるみ期に学んだことは…

★好きという情熱は時に半端ない行動力を生む&周囲に伝染する
★とりあえず発信し続けるって大切
★ネットは出会いのきっかけの宝庫
★行動あるのみ、オファーは受けてから考える
★既存でないなら作ってしまえ!、やってしまえ!
★コミュニティは参加されるみなさんが育ててくださるもの

などなど。

 

ビーンのコレクションを通じて、させていただいたことは、実にバラエティに富んでいたと思います。何より、一つの興味がいろんな可能性を生むのだ、ということも学ばせて頂きました。

 

そして、コミュニティ作りと運営。やはり責任が生じるし大変ですが、そこで得るすばらしい人との繋がりは、何にも代えがたいモノがありました。また自分自身、仕事と直結せずともコミュニティを作って行けたらと思っています。そのときはこのとき感じたことなどを、活かせたらいいなと思ってます。

 

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